農家の想い

私たちが大切にしていること

Mission(ミッション)私達の使命

「1粒食べたら、とまらない。」
ブルーベリーの品種も日々進化しています。おいしい楽しいブルーベリーを追求しています!

日本を農業から元気に!
観光農園として立川を盛り上げ、地域の活性化に貢献できるような元気な農園を目指しています!

Vision(ビジョン)私達が目指すもの

毎年恒例の夏イベントになること
東京の都市農家のため、畑の面積にはどうしても限りがあります。そのため、規模や大きさで日本一を目指すのではなく、ブルーベリー狩りでの最高の体験や価値ある商品作りなど通じて、ブルーベリーと言えば萬田ブルーベリー農園と言ってもらえる農家を目指しています。草の根活動としては、畑を通じて食を身近に感じて欲しいという想いから、4シーズンプログラム(四季の畑育体験)などの体験イベントも実施しています。

萬田ブルーベリー農園公式キャラクター「たちぶるちゃん」

立川の「たち」にブルーベリーの「ぶる」を合わせ「たちぶるちゃん」です!ブルーベリーの実を顔で表現していて、上着はブルーベリーの葉スカートはブルーベリー花(春に白い花を咲かせます)たちぶるちゃんですので、立って震えていることにもかけています(笑)

始りは文久元年(1861年)頃、江戸時代末期の幕末に萬田綱蔵から

萬田ブルーベリー農園は江戸時代末期の幕末、文久元年(1861年)頃に萬田綱蔵が東京の砂川(立川)の地で当時はまだ小作人として農業を営んでいたのが始まりとなります。※祖先の調査で事実が確認できた範囲はここまで、実はさらに歴史は古いですがこれより以前は今では調べることができないため)写真は3代目園主萬田勝太郎・ミヤ、4代目園主萬田實の若かりし頃です。初代萬田綱蔵の写真は探しましたが、江戸時代のため古すぎてありませんでした・・・(笑)ちなみにちょうど日本で写真館が誕生したのが1861年です。江戸の薬研堀(現在の中央区東日本橋一丁目から二丁目あたり)に鵜飼玉川氏がアメリカ人の写真家「フリーマン」からカメラを購入し、日本人による最初の写真館を開いた年が1861年です。正式に萬田農園となったのは1947年。戦後GHQによって進められた、農地改革からです。

地球環境への想い

気温は上昇の一途をたどっており、ブルーベリーの生育にも影響が出ています。地球環境を考えていくことは必要不可欠です。まずはできることからとして、ブルーベリー狩りをして頂いたあと、お持ち帰り頂く容器と袋をご持参して頂く活動を始めました。ぜひご協力よろしくお願いします。

日本ブルーベリー協会の正式会員です

「日本ブルーベリー協会」は、平成6年8月27日、東京において設立されました。 ブルーベリー生産者を中心に、全国ネットワークの組織を作り、我が国のブルーベリー産業、 ブルーベリー文化の確立を目指しております。農協、県・市町村等の行政機関、大学・試験場 の研究家、流通・加工利用に取り組んでいる企業、そして消費者の方々をも含んだ広範囲の皆様を対象に活動しております。

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